第 一 次 西 成 騒 動 新 聞 記 事 抜 粋

1961年 8月 2日 〜

* の行は見出しです。 ............... - - - - - は省略です。 ............... 赤字 は桑島



8月2日 朝刊

朝日 * 釜ヶ崎で労務者らさわぐ / 2千余人が暴徒化 / 交通事故の処置に怒る * 派出所などに投石・放火 * 催涙ガスで鎮圧 * 出動消防車も襲う 西成署員が即死と断定して死体を派出所前の歩道上に置き、現場検証をつづけ約20分後に付近の病院に収容した。 この状況を見ていた労務者など数人が「なぜ早く連れていかないのか」と口々に警官の処置に抗議、次第に数を増し、 派出所の窓に石を投げたりして窓ガラスなどがこわされた。 毎日 * 交番に投石、車に放火 / 大阪西成、群衆約千人騒ぐ 読売 * 交番や車に放火、投石 / 大阪のドヤ街、深夜一千人騒ぐ 一日午後九時十五分ごろ - - - - - はねられ即死した。ところが死体収容にパトカーが事故発生後二十分もたって 現場へ着いたため、付近の日雇い、浮浪者など約百人がパトカーを囲み騒ぎだした。 このときパトカーの後部をけった同町S少年(18)を西成署員が同派出所に捕まえ連れ込んだため興奮した群衆は 派出所へ殺到、石を投げてガラス二枚を割った。 - - - - - 群衆は機動隊トラックにもかけつけた消防車や付近人家にも投石するなど乱暴の限りをつくし - - - - - 付近は浮浪者、日雇い、グレン隊などが多く、ふだんから警察の取り締まりに”うらみ”をもっている人たちが 集まっている。警察の処置が遅れたのは事故発生当時派出所の勤務者四人が警らや泥酔者保護に出て、交番が留守 だったため。


8月2日 夕刊

朝日 * 早朝やっと平静に * 28人を逮捕 / 警官百余、群衆数十人ケガ * 事故死の扱いに問題 * 暴力団の扇動も ”釜ヶ崎集団暴行事件”の発端は交通事故にあった老人の死体を道ばたに置き去りにしたことだった。 20分も死体を現場においたという抗議があった。 群衆の騒ぎは交番を焼き、西成署に投石しパトカーに放火するなど、乱暴の限りをつくして2日朝やっとおさまった。 釜ヶ崎は東京の”山谷”と並んで日本”のカスバ”といわれるところ。全国から食いつめた流れ者や犯罪者が ”吹きだまり” のように集まり「住所不定」のラク印を押されてドヤ街約二百軒に寝泊りする人はザッと一万余人 (西成署推定)。大半は日雇人夫になるが、一部はヤクザ、暴力団の組織にはいって、ポン引き、麻薬の密売、 白タクの運転手など、 ”法のアミ”をくぐる商売が多い。このため「少々悪いことをしてもこの住民の中にまぎれ 込めばわからない」というふだんからの気持ちがこの事件をいっそう悪化させたといえよう。 毎日 * 警官百余人が負傷 * 朝まで警察包囲 群衆三千人 交番を焼いて”転進” * 交通事故の処置に怒る この”暴動”のキッカケは - - - - - 柳田豊造(62)さんが - - - - - タクシーにはねられて死んだ。 ところがこの事故の処置に当たった西成署員のやり方をみて「事故当時まだ脈があった」という目撃者たちが柳田さんを 舗道にほったらかしにして現場保存をした警官のやり方に抗議を始めた。 * 警察への反感爆発 どんどこの町・釜ヶ崎 東京山谷と並んで日本での指折りの”無法地帯”だ。浮浪者やニコヨン相手の安宿、一ぜん飯屋が軒を連ね指名手配の 犯罪者がこのドヤ街によく潜伏している。 - - - - - 住民の一人は「交通事故の被害者やおれたちを警察は犬コロ同然に扱った。 - - - - - 」と語ったが - - - - - 読売 * 大阪ドヤ街の警察襲撃 / 暴力団が扇動か / 山谷関係者も流れ込む? / 引き続き警戒体制 騒乱罪適用も 当局はこの騒動の中心になったのは約百人ほどで東京の山谷事件関係者約八十人が西成に流れ込んで来た形跡があるので 彼らのしわざではないかと見ており、また西成署を襲撃した二百人ほどの暴徒は暴力関係の先鋭分子が扇動したとみている。




8月3日 朝刊 

朝日 * 釜ヶ崎の群衆約1万 / 警察お手上げ”無法地帯”/ 3派出所焼き打ち 通りがかりの乗用車も * 高姿勢の警備へ 警察庁 毎日 * 釜ヶ崎でまた騒ぐ / 暴徒2千 派出所も焼く * 騒乱罪も検討 柏村長官現地へ * 町をかける”黒いウズ” * 電車に投石、車に放火 / 市街戦-催涙弾に装甲車 * 燃える車をひっくり返す 柏村警察庁長官の話: 悪質な扇動者にアジられた民衆が群集心理で暴力をひき起こしたものと思う 読売 * 西成群衆また荒れ狂う/三千人、交番など放火 / 催涙ガスで激高して * 暴力団が暴徒撃つ - - - - - 放火された東田派出所の近くで地元のヤクザ数人がバケツで火を消そうとしたところ袋だたきにあい、 暴力団数組み約百人が日本刀やコン棒を振りまわし、猟銃を発射逃げおくれた一人が倒れた。 - - - - -



8月3日 夕刊 

朝日 * 略奪、放火に恐怖の市民 * ついに死者1人出す / ヤクザが自警団組織 * 身の危険訴える市民 / 高まる警備強化望む声 猟銃などをもったヤクザ約50人が集まり群衆とわたり合う事件も起き - - - - - 毎日 * 暴徒におびえる市民 * 「鎮圧が手ぬるい」商売上がったりで”疎開者”も * 群衆に猟銃発砲 一人ケガ 派出所前のグレン隊 * 騒乱罪も検討 - - - - - 近くのヤクザが、2日夜猟銃、日本刀で暴徒をくい止めていた - - - - - 群衆に向かって日本刀を振り回して切り込むという事態もあったという。 読売 * 釜ヶ崎暴動に対策 / 警備体制を強化 / 他府県から応援も * 暴力団、群衆と大乱闘 約千人の群衆の中に暴力団とみられる約五十人がコン棒、日本刀、猟銃をもっておどり込みなぐりつけたり 切りつけて群衆は将棋倒しになり、負傷者多数が出た。





8月4日 朝刊 

朝日 * 釜ヶ崎へ警官6千人出動 * 装甲車を先頭に鎮圧 * 暴徒と衝突 負傷260人 * 血みどろ、市街戦さながら * 警棒の雨・うめく暴徒 三日夜も釜ヶ崎は血、血、血・・・高姿勢に転じた警官隊と狂った群衆---追うもの、追われるものが入り乱れ 市街戦さながらのすさまじさ、ガラスが割れ、火のついた木片がとび、そして警棒の乱打脳天を割られ顔を真っ赤にそめた暴徒がつぎつぎにかつぎ込まれうめき声がもれる。 毎日 * 警棒-投石の攻防 * 装甲車を先頭に高姿勢に転じた警官隊 * 追い打ち、暴徒血だらけ クモの子を散らしたように逃げまどう人たちに警棒のめった打ちが続く。 くり返し行われる警官隊の”突撃”と警棒のめった打ちで付近一帯は流血の場とさえなった。 読売 * 釜ヶ崎三たび流血の乱闘 / 双方で百九十人ケガ / 警官隊”実力行使”に出る - - - - - 逃げ遅れたものは戸を閉め切った両側の商店の軒下に身をかがめたが、警官はようしゃなく警棒の雨をふらせた。 西成署北側でも約三百の暴徒に乱打をかけ - - - - - * 釜ヶ崎住民の実体 / かっての住民黒岩重吾氏がみる 被害を受けたのは、警察、自動車。社会の落伍者の暗い怒りが、端的に現れているようだ。   - - - - - ヤジ馬のなかに酒に酔い、ランニングシャツ一枚でしゃべりまくっている男がいたので、さっそく話しかけてみた。 - - - - - 「あそこの交番はな、わしらみんな泥棒と思うとんのや。この前もな、わしが友だちからクツ買って、 新聞紙に包んで持って 帰っとったんや・そしたら、なにもいわんと中に引きずり込みやがって、どこで盗んだんや、 白状せえ、いうてぶんなぐりやがんねん、 そらわしらきたない格好しとるわ、せやけど今はまじめな日雇いや。 えっ、くそったれめ。ところが、あの交番のおまわりいうたら、 地下たびはいとったら全部盗人に思いやがんね、 ええ、なにも聞かんとなぐりやがって、焼かれてええざまや」




8月4日 夕刊 

朝日 * 完全鎮圧を期す警察 * 扇動者を根こそぎ / 安井国家公安委員長 方針を閣議に報告 * 大阪府警警備部長語る 組関係のものが「警察に協力する」と称して行動したようだが、これに対しては断固取り締まる。 - - - - - 毎日 * 「警棒で」平静になったが * きょうも警官6千人動員 * 血こん、石が散乱 あちこちの軒先に血の固まりがべっとり流れ実力行使の激しさを物語っていた。 * 釜ヶ崎事件の実態にメス。 こうした困難なスラム対策のために。研究と実態調査を続けてきた”大阪社会学研究会”に属する十数人の社会学者は通称”釜ヶ崎” 地区を中心に、スラム問題の研究を精力的に進めている。 - - - - - このメンバーである和歌山大学学芸部長・今崎秀一、大阪府立 社会事業短大助手小関三平の両氏に - - - - - こんどの事件のおこってきた真因に多角的なメスを入れてもらった。 - - - - - 現場を見た二人の学者はやはりここに住む人間の”性格”の問題だという。”こらえ性”がない。かせいだ 分は片っぱしから使ってしまう。非常に衝動的で刹那的である。無責任、つまり、わが身ひとつという身の軽さからくる 投げやりもある。 - - - - - 元来こうした性格なり素質を持っていた人間が集まってきて、群れをなした - - - - - 。 この地域に”落ち込んでくる”要因が必ずある - - - - - 。いったんここに落ちこんだら最後、どうしてもはい上がれない という絶望感。それほど周囲には同じような経過をたどり、同じ条件に追い込まれた人生の”敗残者”がたくさんいる。 この環境がさらに性格の形成に拍車をかけて行く。 - - - - -   しかし住民の”性格”が騒動の要因になっても、いままでおこらなかったこの種の”暴動”がなぜ突然おこってきたのか。 季節的な要因が強い - - - - - というのは二人とも一致した意見。この夜もひどくむし暑かった。  - - - - - 寒い冬、そして明るい昼間には決して起こらないと断言できる。 騒ぎに輪をかけたものは「いつもオレたちをバカにして邪魔者扱いしくさって - - - - - 」という”底辺意識”からくる コンプレックスだ。これは親からまま子扱いされた幼児の心理に似ている。何か反抗してみたい気持ちもある。それが かっこうな不満のはけ口を 見つけて爆発した。 なんの必然もなしに、ただ集まり、ただ騒いだ。この騒ぎの”本当のきっかけ”が何であるかも知らずに集まっている 人がいかに 多いことか - - - - - 今崎氏は「群衆の中から民主主義という言葉が何度も聞かれた。 - - - - - 群衆は言葉の魔術に酔っているのかもしれないが、 これは明らかにはき違えだ。 民主教育の奇形的なあらわれがこんどの事件である」 - - - - -





8月 5日 朝刊 

朝日 * 釜ヶ崎、落ち着く / ”人海警備”昨夜はあくび 毎日 * ”騒乱”やっと下火






8月18日 朝刊 

毎日 * 山田組組長を逮捕 / 釜ヶ崎事件扇動の手配師 釜ヶ崎事件の主役とみられる手配師山田組組長、前科六犯、 - - - (29)を - - - - -



                 以上 縮刷全国版新聞記事より





8月2日 夕刊 (大阪版) 

毎日

* この目で見た”西成の暴動” 背景をさぐる本社座談会 ことの起こりは交通事故で死んだ被害者をめぐって警察の取り扱いが不当だった-というごく少数の目撃者たちのうわさが、 たちまち広がり、群衆の警察に対する反感が爆発点にまで高まって行ったわけだが - - - - - - - - - - はねられた人がはたして即死であったかどうかが事件のカギになると思い、 相原第二病院の松尾医師にきいてみた。 ところが先生は「はっきりしないが、多分、即死ではない」というのだ。 - - - - -



交通事故の被害者は”生きていた”という労働者の必死の訴えをマスコミは無視した。 学者、文化人たちも完全に無視した。 私たち日本社会全体が釜ヶ崎の労働者を虫けら同然視した。 人生の敗残者と蔑まれ、卑しめられ、警棒で頭をたたきわられた日雇い労働者たち。 血だけでなく、悔し涙もたくさん流れたことだろう。 脳天を割られて死んだ労働者は大勢いよう。 日本刀で斬られて死んだ労働者もいよう。 銃弾で死んだ労働者もいよう。 傷がもとで働けず、ついには路上で野垂れ死んだ労働者たちも相当数いたにちがいあるまい。 桑島孝之