天国へ行くことは縁起が悪いの?

私が中学生のときだった。 近所のクリスチャンのご婦人が死を「縁起が悪い」と言ったその言葉が私の心に 強くひっかかった。 天国にいくことがどうして縁起が悪いの? 神に召されることがどうして縁起が悪いの? 私は腑に落ちなかった。 高校生のとき、矢内原忠雄の本だと思うけれど、内村鑑三が娘さんの埋葬のときに 「万歳!」と叫んだとの記述を目にし、クリスチャンはこうでなければと思った。 のもつかの間、内村鑑三は沈痛な表情だったと文章は続いていた。 がっかりしたのを覚えている。 若い頃、旅の途中で知り合った牧師に尋ねたことがある。 牧師にはつまらない質問に思えたようだった。 牧師は答えた。「別れは悲しいものだ」。それだけだった。 つかの間の別れじゃないか。 牧師は神に目が向いていない。私はそう感じた。 牧師とそれ以上言葉を交わさなかった。 ある有名は牧師は「死は恐くない」と言った。 考えてみるとおかしなことである。 「天国に行くことは恐くない」「神に召されることは恐くない」 そういうことになる。 医者から末期ガンの宣告を受け二日間泣き明かした牧師がいたことを知っている。 天国を信じ、神を愛しているはずのクリスチャンがどうして死を悲しむのか? クリスチャンにとって、神に召されることはこの上ない悦びではないのか? 私は腑に落ちないのである。



松田道雄は以下のように記しています。
     
     「結核の医者をしたこともあって、たくさんの人の死ぬ前に立ち会った。     
     いちばん堂々としていたのは信仰に生きていた人であった。
     彼らはこの世に別れる悲しみよりも、楽土にいく喜びにあふれていた。」
     
「生きること•死ぬこと」 松田道雄 筑摩書房



死へのあこがれをモチーフにしたバッハの有名な曲があります。
カンタータ第161番 「来たれ、甘き死の時よ」
http://homepage2.nifty.com/bach-kreis-kobe/text/161.html